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まず始めに.................。
ギャグセンスに欠けるつまらん男な為、
重くカッタルイ内容になってしまう事をご了承いただきたい。 (苦笑) |
| 個人的な前置きで恐縮だが、自分の出身は「いわゆる人情の...」と言われる様な東京・下町である。 しかし、情けの薄い地域・環境・世間一般とは少しズレた家庭で育ち、その流れで「ヨコ道・裏道の人生」を送って来ている事が周囲とのギャップで、またストレスの種でもあった。 こんな調子で歳を重ねるごとに少々ネジ曲った人格が形成され、「社会に適合しきれない敗者」としての現在に至っている。(笑) 今回の沖縄行きに誘われた時、以前から聞かされていた「魅惑の沖縄エピソード云々」については正直な話、半信半疑であった。 ひねくれた人生が長い分、『それは感じ方の違いだろう』程度にしか思えなかったのだ...。 実はこの「短くも濃い旅」は、訳在りで一度は断りつつも半ば後押しされる形で決行する事となる。 実際、現地に降り立った後も何となく考え事をしながら一日目を過ごしていた自分が、まさかこんなレポを仕上げるとは夢にも思わなかった...。 そんな諸々の心境の中で片寄った表現を避ける為に、帰省後は「現地に暮らす人間の本音の声」や「現在も残る諸問題」等にも目を向け、違った角度からの「リアルな沖縄」も捉えつつレポを仕上げてみた。 それでも恐らく、表現の仕方が幾分おおげさに感じる方もおられると思う。 しかし、今回は敢えて「徹底した主観論」で進めて行きたい。 この「柔軟で、純粋な優しい土地」を心から愛し、また、あの場所がいつまでも「訳の解らない状態の現代日本」にとって活性剤的な存在たる事を願って...。 2003年 2月2日 |
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一言で表現するならば...ただ『スゴかった』。 まさに「怒濤の...」と言っても過言では無い10日間。 その島には、この33年間に出会った事の無いタイプの人々が、余計な「見栄・体裁・エゴ・打算」なども見受けられず、ごく自然に自分達のスタイルを貫いて生活していた。 住民はオープンマインドで穏やかな人が多く、「自然で深い思いやり」と「明るい気丈さ」を持ち合わせる。 やはり過去、様々な苦汁を舐めてきた歴史が在るからこそ、他人にも優しく気づかう事が出来るのだろうか...。 上陸するのに、昔はパスポートが必要だったその場所は、今でも古くからの伝統・文化やウチナンチュ(地元民)としてのプライドを重んじる一つの国、「琉球国家」が健在していた。 |
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| 2002年11月15日、沖縄本島上陸。 決して不快では無い程度の湿気と、注意しなければ気付かない程に「ハーブ系の香り」が混じった独特な空気が、見知らぬ地へ降り立った実感となる。 東京ではすっかり冬支度の時期だが、この島はまだ「Tシャツ」でもオーケイだ。 バイクで数時間もあれば縦断可能な沖縄本島は米軍基地が点在し、地域によって街にも人にも違いがある。 「首都・那覇の在る南部」、「米軍人と共存する中部」、「自然の豊かな北部」とで形成される縦長の島だ。 本島全体は鉄道が無く「車・タクシー・バス」を主な交通手段とするが、南部は十分に都市としての機能を果たしており、シャレた店やイイ女も多く(笑)現在モノレールの路線を建設中。 しかし、今回の目玉イベント「GATE 2 FEST」のメインストリートでもあり、活動拠点とした中部の「コザ市」は表情を一変し、一瞬どこか遠いアジアの国へ迷い込んだ錯覚に陥ってしまう...。 多数のアメリカ人達が、普通に爆音のハ−レーなんかをブンブン乗り回すこちら側は「ソレ系の店」も多く、そんな光景が自然と溶け込んでいる。 今回の道中、お約束(笑)で「白バイによる職質の洗礼」を南部・那覇市内にて受けるが、他の地域はさほどウルサくは無い様だ。 特に、「チャンプル(ごちゃ混ぜ)な中部・コザ市」は...。 このコザという街は、アメリカ兵・米軍関係者の家族・退役軍人達を含めた「外国人達」が根付いて居住する事で、極めて独特な風土を保っている。 ざっと上げれば、「アメリカ・イギリス・アイルランド・ブラジル・インド・フィリピン・タイ・韓国・ペルー・メキシコ...」とまさにチャンプルな多人種地域だ。 沖縄の「軍関連」については、世間では良い話を聞かない。 が、政治的な意味を一切無視して考えると、実際に雇用や街の経済活性面に関しては、地域によって「アメリカ軍の恩恵が無きにしも在らず」といった部分もある...。 事実、現在沖縄は「10人に一人は失業者」と言われる程の不景気と就職難で、公務員並みの待遇を得られる「米軍基地内の仕事」を希望する人も多いらしい。 太平洋戦争後の27年間、アメリカに占領され「国家」としての主権が存在しなかった沖縄は、1972年に日本に返還され「沖縄県(約95万人)」がスタートする。 通貨は「ドル」から「円」に代わり、沖縄との往来にパスポートも不要に。 だが、現在も米軍基地は米国施政権下のときとほとんど変わらず、「本土並みの復帰」を目指すも 「経済・政治・民事」と、まだまだ諸々の問題は山積みの様だ...。 |
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| 沖縄は第二次世界大戦で地上戦を強いられ、朝鮮戦争・ベトナム戦争、また湾岸戦争では出撃基地となった。 現在もこの島には、一般住民の居住区のど真ん中にポッカリと「米空軍の発着所」のある地域が存在する。 例えば、自分の部屋の窓から「真近に離着陸する軍用機が頻繁に行き来する」のを爆音と共に見ながら、日々生活するのは一体どんな気分だろうか...。 近年、周囲の国の状況が他人事とは思えない程「ヤバい空気」の中、「周辺事態法」の成立で沖縄が真っ先に影響を受け巻き込まれる可能性が一番高いらしい。 『備えあれば憂いなしの考え方に立って、有事法制について検討を進める』と日本の首相は明言した。 「有事法制」の第一の目的は、戦争への準備を進める事だそうだ。 攻撃される恐れが在るという前提のもと、陣地構築・土地や物資の強制収用、各交通機関や通信を始め、生活や産業の基盤を「軍事優先に切り替える」方向の立法で、国民の財産権・基本的人権を侵害し戦争を円滑に遂行するための法律とも言える。 もし日本周辺で米軍が始める戦争に自衛隊が参戦すれば、米軍基地などを手始めに日本が反撃を受け国土が戦場になってしまう可能性は十分だ。 我々の世代にはどうもピンとこない話に聞こえるが、この島では他人事では済まないだろう...。 そんな「カオス」な環境だからこそ、そこに根付く人々は「ぬるま湯育ちの輩が忘れてしまった大切な何か」を重んじるのではなかろうか。 コザ市のメインストリート「ゲート通り」は退役軍人の経営する店も多い。 今回、その首領的な存在であり「Ryukyu CUSTOM CYCLES & bar AL's PLACE」オーナー、また、日米バイカーのまとめ役である「Mr.AL 氏」の御好意で、滞在中は色んな意味で彼の店を拠り所にさせて頂くことにした。 |
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沖縄で一つ意外だったのが、主な拠点となったコザ市の「TV番組の編成」だった。 例えば、東京のゴールデンタイムの番組なんかが平気で深夜2〜3時あたりに放映しており 、『時差か?』と思うほどに夜が長いという印象。「夜更かし・呑んべえ」に優しい街なのか...(笑) また、交通量は少なくなるが市街地には一晩中人の気配が在り、深夜でも閑散とした印象は感じられない。 我々が上陸したのが金曜日。 そして、その後「二回の週末」を通り越し月曜の帰省となる10日間の過程で、何度か市内で夜を明かした。 その中で感じる限りでは、「曜日による人出の変化」がそれ程激しく無かった様に思える。 ただ単に我々がハイテンションだっただけなのか...。 どう表現して良いのか...ウザくない程度の気持ちのイイ活気具合だ。 島のほぼ全域に渡り「キャンプ・素泊まり・知人の所(店)」などを転々と宿泊。 様々な場所で、島の誰かとガッツリ呑み、二日酔いの身体に喝を入れバイクで走り、沖縄フードを喰らい、また次の場所へ...。 我々は寝る間を惜しむかのごとく、ハイピッチで「琉球の地」を満喫していった...。 |
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自分自身、多方面での「接客業」自体は長いが、ことプライベートとなると意外に初対面の人間というのが苦手なのが少々心配だった。 割りと根は暗いのだ...。 しかし意外な事に、ここで出会った(紹介された)誰もが、ひとたび酒を酌み交わせば自然と裏表を全く感じさせない「気の知れた友」の様なやり取りになっている事に感動を隠せなかった。 よくありがちな、広く浅くの精神の「本心を隠した上で変な馴れ馴れしさ」とは明らかに違い、本音で話が出来る「自立した男達の人に対する姿勢」が見受けられた。 「こちらがひらけば相手もひらく」...。 気の許せる「ごく身近な仲間」以外の人間と、これほど旨い「語り酒」は久しく呑んでいない事に気付く。 とにかく我々は、日々目まぐるしいほど動き回り、色々な人々に顔を合わせていった。 出会った(お世話になった)人達の人種はチャンプルだが、一貫して「沖縄人」という、良い意味での印象が強く残った。 |
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もう 一つ驚いたのは食に関する事。 現地の「琉球フード全般」の味としては、我々関東の者達が本気でウマイと思う味。 都内に在る、一部の「にわか沖縄料理」とは一味違う印象だった。 非常識とも思える程に良心的な店が多く、その殆どが「東京の価格の三分の二ほど・ボリュームは1.5倍」といった感じで、定食ならライスのお代わりがフリーな所が常識のようだ。 こんな状況で普通に三食喰ってれば、「基礎代謝の低い奴」は絶対太る。(笑) 特に那覇の周辺以外はファーストフードやファミレスの類いは極端に少なく、目に入るのは「マック・吉牛・モス」あたりでガストを一軒とマイナー系フードチェーンを見たくらい。 あとは圧倒的に個人店鋪だ。 後で解った事だが、あらゆるジャンルにおいて大手企業の参入が少なく、島自体の雇用率が内地(我々の住む本土)に比べて圧倒的に悪い故なのか、利益率は低くても個々で開業し自立する形が珍しくないそうだ。 「今回紹介されたバイク仲間・10数名」は、殆どがそれに当てはまる。 |
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そんな訳で、ここから写真で登場する人物(一部の主な人々)が、今回の道中あらゆる物事(酒・宿・サポート全般)に関してお世話になった「愛すべきウチナンチュの面々」と、我々「ナイチャ−(内地人)・7名(内、VIBES 班2名)」のスナップだ。 なお都合上、「最高に楽しんでる時」はモチロン写真なんぞを撮る余裕は一切無いので、後は想像にお任せします...。(笑) |
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| 以上、レポの為に撮られた写真では無かったので半端な内容にまとめてしまったが、少しでも伝われば幸い...。 |
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[写真撮影:勝田(しぇんしぇい)力也]
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今思えば、あの場所へは何か必然的な力に導かれた気がしてならない。 その時点では全く意識しなかったが、思い返せば確かに数年前から「その兆しの様な事柄」が断続的に続いていた...。 10年前のバーで同僚だった「沖縄出身の男」に見た人間性の違い。 4年前から意味も分からず部屋に飾り続けている、「沖縄から出て来たばかりのバイト仲間がくれたシーサー(守護神)のマスコット」。 彼等は東京のど真ん中で一切の脈絡も無く、突然に出会い通り過ぎていった人物だった...。 また、ここ半年程シーズンでも無いのに何故か目にしたのは、何気なくスイッチを入れたTVから流れる「沖縄系」の番組。 偶然にしてはかなり頻繁だった。 そしてまた、ある時期から「沖縄」に目を向け出し、定期的に足を運んでいる「古いバイク仲間の誘い」...。 これらの出来事は全て、求めていた訳でも無く何ら関連する所など無かった。 「思い過ごし、ただの偶然」と笑ってしまえばそれまでである。 しかし今回、実際に足を運び「琉球」に触れた事で想像以上に心身が癒されたのは事実で、自分の人生に於いて「何がしかの提案」を得たような感触すら在った。 今回訪れたのは残念ながら本島のみだったが、別の機会には是非「ディープな離島」にも足を踏み入れたいと思う。 |
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| 最後に...。善し悪しは別として、生活して来た環境により各個人の「人格・言動」が左右される部分も在るだろうが、そんな事柄の影響を如何に「吸収・変化」させるかは、やはり本人次第だろう。 今、ウチナンチュ達の言動が自分にとって「人としての在り方の一つの指針」として捉えられ、それに触れた事が非常に良い経験であったという事を痛感している。 抽象的でいい加減な表現になってしまうが、この何とも言いがたい「不思議な導き」に感謝したい。 『丈二は絶対に行かなきゃダメだよ!』 「しぇんしぇい」が何度も言っていた、この言葉の意味がやっと理解出来た。 |
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